優しい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても、奇跡は起こるよ
…中学校の同級生の友達が数人、
週末に地元へ戻ってきた、ということで
昨日は食事へ(ゴメン、写真を撮り忘れました、誰か上げてくれるかな・・)。
特にとりただすような出来事もない
普通の飲み会でしたが、
みんなの普段の頑張りを耳にする感じ、
10年前の学校の様子を話す感じ、
…さながらミニ同窓会のようでした。
しがないサラリーマンなら
「毎日大変だよ」と終わる話も
この職業(とまだ呼んではいけない気はしますが・・)のお陰で
みんなに対して少し違う角度から話題をふれて、
こういう場で少しでも話の種になれるのは、
いつもとは違う意味で報われてる気がして好きです。
僕が会場に行く直前まで戦っていた仕事の話をすると、
楽しそうに乗って、アドバイスをくれました。
(…彼らの読み手としての知識の豊富さに、
寧ろ彼らが僕みたいな職に就くべきなんじゃないかなー…と思ったりもしたけれど)
この前会った旧友達も「俺はダメさ」「目が死んじまった」的なことを
心で話していましたが、
昨日お会いした皆さん共々、みんな心が丈夫で羨ましいです。
柔らかく、暖かくて、広い。
とても広い都会で人ごみにまみれながら、
ルーティンワークでボロボロになってる方達とは思えず、
彼らの強さはその中にあって、僕のとは質も量も違う、と思えます
(お話も、ちょっとした空気の読め感も上手だしね)。
本当に楽しかったなぁ。
来週も別の旧友とご飯の予定があって、
「年末だな」とも思っています。
彼らの笑顔で言う「つらい」は本当に辛そうで、
冗談混じりの「辞めたい」には本音が混じっているけれど、
そういうものを僕が受け取ることが、大切だと思う。
彼らに寄り添う人は「お疲れ様」と抱きしめてあげるべきだし、
身近に居られる人は「頑張るべ」と毎日酒を交わすべきだと思う。
僕は、それらをちょっと遠くから眺めて、
見えるものを形にするべき人間だと改めて思いました。
僕は、絵描きだ。
与えられた舞台を怖がって泣いていてもしょうがない。
そこで出来ることを考えて、動いていかなきゃ。
長年の片思いの相手みたいに想っていた憧れのこの趣味とか職業とか呼べるものに
手が届くかもしれないタイミングで、
今更怖がって足踏みしていたのは、事実。
あがかなきゃ、昔みたいに。
目が覚めた。
…という、職業柄、ふだん出不精な僕が
ちょっと食事すると、こうやって感じるよ、という日記。
…かったーい文章になっちゃった、てへへ。
http://simapyon.blog.shinobi.jp/Entry/401/あいつのて、あついので。